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「スゴイんだぞ西野さん」が示した1つの真実は「イジリを含めてエンターテイメント」への道かもしれない

アメトーーク「スゴイんだぞ西野さん」

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アメトーークの「スゴイんだぞ西野さん」を見ました。

正直、

 

 

 

ずっと爆笑していました。 

 終始、笑いっぱなしでした。

挑戦者を笑う日本の縮図 

しかし、ふと思ったりもするわけです。

 

この番組の内容ってまさに「挑戦している人間をバカにしている行為」ではないのかなと。

何とも日本人を象徴しているような内容にも感じられてしまいました。

 

 

で、こういう意見を書くと、大抵こんな反対意見も出てきます。

「西野は言動がハナにつく。」「西野は自分スゴイでしょアピールをしている。」

 

 

 

 

だから叩かれてもしょうがない。

 

 

「〜だから叩かれてもしょうがない」というような自己正当化もまさに日本人的です。

なぜキングコング西野は出演したのか?

僕は魔法のコンパスを読んでいて、色々な箇所で納得し、大きな学びがありました。

www.mizutanikengo.com

彼を超尊敬しています。しかし、番組を見て爆笑しました。この「面白かった」という自分の気持ち。これは間違いないのです。笑ったのは事実であり、否定できない。

 

 

この矛盾は何なのだろうか?

 

そして、そもそも西野さんは何故、「絶対にいじられると分かっているアメトーーク」に出演したのか?

 

それを考えた時、「彼が成し遂げたかったこと」そして「日本文化の中で、挑戦者が周りを巻き込んでムーブメントを作っていく方法」が見えた気がしました。

イジリも含めたエンターテイメント化

それがタイトルにもある

「イジリを含めたエンターテイメント」

です。

 

つまり、西野さんは「挑戦者を叩くほうがダサいよ」という「主張」ではなく、「笑われている自分を含めて面白い」という「エンターテイメント」を求めたのではないでしょうか?

挑戦する人間を叩く奴は相手にしない。という考えだったら、わざわざアメトーークに出る必要なんてないんですよね。

 

そうではなく「そうやって叩く人間」をも笑わせようとした。だからこそ、出演したのではないでしょうか。

 

より多くの人に自分の作品を知ってもらうために。

 

そして、これこそが「日本で挑戦する時にベストな立ち振る舞い」ではないかと。

「足の引っ張り合い」は直らない

というのも「日本人は出る杭を叩く。その国民性がダメだ」ってここ数十年、もしかしたらもっと昔から散々言われているじゃないですか。

 

で、その結果、周りと違う人を受け入れる文化が生まれたかといえば、そこまで進んでいない。

 

だったら、「そうやって叩く奴らも含めてエンターテイメント」「そいつらに叩かれるからこそ拡散していく広告」と捉えた方が建設的。

 

夢を主張して、イジられて、バカにされて、その輪の中心で「オイ!」とツッコミを入れていると、周りが笑って拡散してくれる

 

そしてそれを含めて「この前、むちゃくちゃスベりました。」とネタにしてしまう。

 

批判されて「いつか見返してやる」と思った時点で、相手は「敵」になります。「敵」じゃなくエンターテイメントの「共演者」と考えてみると少しは心が楽になるのかもしれません。

 

そんなことを考えたアメトーークでした。