「真顔日記」から学んだ「笑えるブログ」で大事なたった一つのこと。

何はともあれ。

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こちらの記事をご覧いただきたい。

「真顔日記」というブログ。とにかく「笑える」と評判のブログです。

diary.uedakeita.net

 

どうでしょうか?

この中で最も笑えた場所を挙げるとしたら、

 

 

 

 

 

 

 

 

「エンプティ」

ではないですか?

 

僕はこの一文に爆笑しまして、気づけばTwitterでシェアすると同時に、生まれて初めて「ハテブコメント」をつけてしまいました。

Twitterでシェアするだけでは物足りない。この笑いを、同じ記事を読んだ人とそのまま共有したいという思いが僕に、

 

「エンプティww」

 

というコメントを打たせたのです。

 

そこでふと、自分にしては初めてのこの行動をさせて「原因」は一体なんなのだろうと思ったのです。

 

答えは数秒で出ました。

「ツッコミ」です。この文章には「ユーザーがツッコむ余地」があったのです。文章の中では決して完結していない放置されっぱなしのボケ。

それを見て僕は、思わず「エンプティww」と書き込んだのです。

敢えて説明しすぎないことの重要性

問題の「エンプティ」前後の文章を抜き出してみます。

「たまにね、パンを焼きながら空白を焼いているような気分になるの。何もないものを、虚無を、ただの無を焼いているような気持ちになるのよ」

「エンプティ」と私は言った。

「このかまどの中には本当は何もなくて、ただけむりだけが天にのぼっていくのかもしれない。あるいは、わたしが本当に焼いているのは、わたしの心なのかもしれない。そんな日は、すこしだけ泣くの」

なぜ僕がコメントを残したか。前述した通り、この文章には「エンプティ」というボケに対するツッコミが一切なかったからだと考えます。

 

例えば、この文章が下記のようなものだったら?

「たまにね、パンを焼きながら空白を焼いているような気分になるの。何もないものを、虚無を、ただの無を焼いているような気持ちになるのよ」

「エンプティ」と私は言った。なぜこの時、わざわざ英語を使ったのかは定かではない。

「このかまどの中には本当は何もなくて、ただけむりだけが天にのぼっていくのかもしれない。あるいは、わたしが本当に焼いているのは、わたしの心なのかもしれない。そんな日は、すこしだけ泣くの」

多分、僕はコメントをしなかった。何故ならこのブログで全てが完結しているから。

「敢えてツッコミの部分を残すこと」がこれからの「笑えるブログ」の在り方となっていくでしょう。

自信がないボケほど説明する

翻って自分のことを考えてみました。すると、やっぱり恥ずかしいくらい説明しているんですよね。

「これボケなんですよー?」「これわざと言っているんですよー?」「分かってくれていますー?」という自信のなさがありありと見て取れる。対照的に、

「エンプティ」と私は言った。

にはある種の潔さというか、「自分の笑いを分からない人はいらない」という強い意志が見て取れます。

 

ある意味でブランディングやペルソナマーケティングにも通ずる部分がありそうです。

自分が伝えようとしている裏の意味を理解してくれる人だけがファンであれば良い。それを理解できない人、正面から受け取って批判してくる人は切り捨てる。

そんな姿勢が人気の笑えるブログになるには、大事になるのかもしれません。

 

ボケるだけボケて、スベるだけスベりましょう。

大丈夫、あなたのセンスを理解してくれる人はきっと存在します。ビリーブミー。