「凄い物語」は三転している

凄い物語の作り方

水谷です。作家をしています。

 

最近、伊坂幸太郎さんの「ホワイトラビット」を読みました。

「凄え!」と思いました。

 

舞台を見るにしても漫画や小説を読むにしても、「良い物語だなぁ」と思うことはよくあります。しかし、「凄い」と思うことは中々ない。

 

そこには一体どんな違いがあるのか?今日はそんな話。

「良い物語」と「凄い物語」の違い

良い物語には読後感の心地良さやキャラクターへの感情移入があります。

その世界に浸りたいと思え、もし続きがあるなら見てみたいと思うものです。

 

一方、「凄い物語」には尊敬が含まれているのです。

「これってどうやって作ったんだろう?」と思えるトリックや展開があります。

 

「良い物語」は構造的にどうやって作られたのか想像できる。

しかし、後者は一体どんな経緯で、どのような作られ方をしたのかイメージできない。

二転三転する構造

僕が感じる凄い物語は、そのほとんどが「二転三転する物語」でした。

 

今回読んだ「ホワイトラビット」もまたその例に漏れません。

ネタバレとなるので詳しく書けませんが、「なるほどそうくるか」という展開が3回入っていたのです。

ホワイトラビット

ホワイトラビット

 

 朝井リョウ「何者」

 

ここで思い出したのが朝井リョウさんの「何者」

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上記の記事で書いた通り、この物語は登場人物たちの対立構造が三段階に分けられています。

そして、最後の最後に「今まで俯瞰していた主人公の立場をひっくり返す」という最大インパクトのオチが待っていて、

「これは凄い」

と読み終えた僕は思わず口にしていました。

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

ナイゲン

演劇から例をもう一つだけ。

僕がとても好きな劇団さんで「アガリスクエンターテイメント」という団体があります。

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 この団体の代表作とも言えるものの一つに「ナイゲン」という作品があります。

 ある夏の日、唯一残った伝統にして、やたら長いだけの文化祭の為の会議“ナイゲン”は、惰性のままにその日程を終わろうとしていた。
 
しかし、終了間際に一つの報せが飛び込む。
「今年は、1クラスだけ、文化祭での発表が出来なくなります」
 
それを機に会議は性格を変え始める。
――どこのクラスを落とすのか。かくして、会議に不慣れな高校生達の泥仕合がはじまった…! 

この物語では、

・教師案を受けるかどうかの多数決

・誰を落とすかの多数決

・「エコ活動」をやりたいものにするための会議

 という3段階の展開が待っているのです。

これを2時間の舞台でやるだから、見ている方は息つく暇がありません。

飽きさせない工夫

この「飽きさせない工夫」として「二転三転する物語」は非常に有効な方法です。

(もちろんそれゆえに物語として破綻がないように完結するのが難しいのですが)

 

特に現代人は、細切れ消費の文化と言われています。

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二転三転する物語の作り方

ではいったいそんな話をどのように作れば良いのか?

大きく分かれて2つあると思っています。

①完成品を素材にする

1つ目が「完成品を素材にする」というやり方。

これはラーメンズ小林さんの本で紹介されていた方法です。

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「劇中劇(作中の役者が演じる劇)」という形が想像しやすいかもしれません。

 

②さらに主人公を追い込む

2つ目が、「想定していた結末を迎えた後にさらに主人公に追い込む」という方法。

作者ですら考えていない展開のため、読者もまた「そうくるか」と驚かすことができます。

 

下記の記事にも書いたのですが、映画にもなった「怒り」は最後まで犯人を誰か決めずに書かれた物語のようです。

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二転三転する物語は2〜3倍疲れる

上記どちらの方法においても共通しているのは、

1つの物語を膨らませるというよりも、2〜3個分の物語を書き、それを1つに凝縮するイメージの方が近いのかもしれません。

 

それだけ大変なものになるのは間違いありませんが、その末に完成した作品は

「これは凄い!」

と多くの人を感動させるでしょう。

 

もしあなたが作家であるのなら、取り組む価値は間違いなくあると思います。