僕は豊橋で暮らせない

豊橋で暮らせない、とふと思いました。

 

豊橋とは、「豊かな橋」と書きます。

つまりそれは、『豊かに満たされていて人と人が行き交う場所(橋)』という意味合いではありません。地名です。愛知県の南東部に位置する僕の地元です。

 

今僕は上京しているのですが、最近よく豊橋のことを思い出します。

 

例えば冬の寒い朝、「あぁ、この空気。自分が高校生の時に嗅いだなぁ」と感じた時、もしくはSNSやネットニュースで「豊橋」というワードを聞いた時、

その瞬間、僕の記憶はあっという間に10年前へと遡り、あの頃の懐かしい思い出が蘇る。

 

一通り、故郷に思いを馳せた後に考えるのは「もし自分が今、豊橋に住んでいたら?」という問いです。

 

とても穏やかで、とても楽しそうな気がします。

豊橋駅には、高校時代の友人がよくいます。普通に駅を歩いていたら、結構な確率で知り合いと出会う。東京ではなかなか起き得ません。

 

また、豊橋からを経由東海道線は、どれだけ帰宅ラッシュであっても、絶対に満員になりません。向かい合いのボックス席には、高校生たちが十分なスペースを使ってワイワイと話している。

 

僕はきっと席にはつかず、車窓から見える三河湾を一望しながら自宅へと帰っていく。なんとも心に余裕がある生活です。

 

豊橋は良い。街がそれなりに発展しているのが良い。でも、そこまで混んでいないのが良い。10年前に自分が通っていた通学路を、なぞりながら人生を送れるのが良い。

 

僕は豊橋に行くたびに、街全体の持つその哀愁に胸が締め付けられます。

 

でも、僕は豊橋で暮らすことはしないでしょう。

理由はいくつかあり、それはそれで説明すると非常に長くなってしまうので割愛しますが、確信しています。

また、ここまで書いて今更なのですが、厳密にいうと実は僕の地元は「蒲郡」という場所で、豊橋よりさらに田舎です(豊橋は高校があるのです)

 

だからこそ、豊橋には(そして蒲郡には)、もし自分が上京してなかったらという並行世界が詰まっている気がするのです。

愛知の大学に進み、愛知で就職した自分が今でも豊橋にはいるんじゃないだろうか、と思うのです。

 

僕はそのもう一人の自分と出会うのが怖いのかもしれません。