「出来ない」を受け入れることの重要性
よく読ませていただいているブロガーさんの「あんちゃさん」
出張相談で今度お会いさせていただきます。
「まじまじぱーてぃー」あんちゃさんの出張相談に申し込んでみた!
— みずけん@comico公式作家 (@mizutanikeng) 2016年10月11日
うわー!楽しみ!!https://t.co/GqHupTj6kD
今回はあんちゃさんのブログから着想した記事です。
先日、下記の記事を読んで、
地位や名誉がなくたって、お金を持ってなくたって、友達がいなくたって、別にいい。そういう「みじめな自分の人生」だと思っていた部分を受け入れてみたら、ずいぶんと楽になった。
という部分が、妙に頭に残りました。
最近考えてることと共通する部分があったので、言語化してみます。
「仕事が出来ない」を重く捉える必要はない
人は「出来ない」=「自分に価値がない」を結びつけてしまいがち。
そしてそれ故に「出来ない」を必死に克服しようとします。
この「努力」って実はあんまり意味ないんじゃないかと。
それよりも「出来ない」=「不向き」と捉えて、別の「出来ること」を探す方が重要なんじゃないのかと。
そんなことを最近は思っています。
「努力」は甘美な幻想となりやすい。
「自分が出来ない」を見つめる事って相当勇気がいることです。
僕もすごい苦手。なかなか認めようとしない人間です。プライドの塊なんすよ。情けないくらい。
だって、
「出来ないを認める」よりも「今後の努力を決意する」方が楽じゃないですか。
「努力すればいつか出来るようになる」と考えた方が希望を持てるじゃないですか。
だから、自分が向いていない業界だとしても、自分が向いていない業種だとしても、努力を続けてしまっていたのです。
しかし、そこには天性でそのことに向いていて、元々得意な人がたくさんいる。
嫌々やっている自分はその領域でその人に勝てないんです。
ハロー効果を意識する。
前述した通り、上記はまさに僕のことだったのですが、そう考えていた原因として「ハロー効果」があります。
ハロー効果(ハローこうか、英:halo effect)とは、心理学者エドワード・ソーンダイクによって名づけられた造語で、心理的効果の一つ。
ある対象を評価をする時に顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる現象のこと。 認知バイアスの一種である。
ある特定のことができる人に対し、その人は性格も良くて、他の事が何でも得意な人だと思ってしまう現象です。
プロスポーツ選手や芸能人を神聖視するのもこれの一つだとか。
身近な例で言えば、仕事にも当てはまります。
「自分が上手くいかない仕事をこなしている人」=「自分よりも価値がある人」だと思っていたのです。
そして「出来ない」を認めてしまうとその人よりも「価値がない人間」だと認めた事となる、と考えていました。
でも実は違います。「その人」が「その分野が得意」というだけの話。別の領域で勝つ可能性は十分あります。
自分を卑下する必要はないのです。
「出来ない」を克服するよりも別の場所へ。
今の仕事が出来ないからといって自分に価値がないと思う必要はない。
逆に、そこで活躍している人に、そこまで劣等感を感じる必要もない。
言葉で言うのは簡単ですが、実際にそれを常々思う事って大変です。
怒られた時はついつい自分には価値がないのかも?と思ってしまいます。
そんな時は「自分は〜が苦手な人間だ。」と言葉にしてみましょう。
これは、「反応しない練習」という本で紹介された「ラベリング」という技術。「自分はこう感じている」「自分はこういう人間だ」と口にする事で、客観的になれる方法です。

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「不向き」と考える事ができれば、「嫌々、努力する」よりも「別の得意な事」に視点が向くはず。まずはちょっと勇気を出して視点を向けてみましょう。
「今の仕事は辛いし嫌だけど、ある程度一人前になったら独立、転職しよう。」と考えているなら是非、少しだけ考えてみてください。
多分「一人前になる日」はなかなか来ません。来たとしてもいろいろなものを消耗しています。あなたが向いている仕事に費やしていたであろう時間がもったいない。
何度も言いますが、それで逃げたとしても、あなたも、僕も、根本的な価値が崩れるわけではありません。生きているだけで丸儲けです。
ということで、取り留めないですが、最近思っている事を書いてみました。
では!