コンプレックスが妄想力をつけてくれた
水谷です。小説家をしています。
学生時代は妄想癖のある男でした。
頭の中の物語で、理想のバトルを生み出し、理想の恋愛をし、時にゾクッとするほどの恐怖を味わいながら、日々を過ごしてきました。
そんな妄想癖の理由を考えてみた時、これまでの圧倒的な「モテない」というコンプレックスが根底にあったからという結論に達したのです。
モテないからこそ、妄想の世界を作り出すしかなかった。
現実が苦しかったから、創造の世界で自分を楽しませるしかなかった。
今日はそんな話。
小学生時代「絶望の萌芽」
絶望とは「落差」です。
「あれ?こんなはずでは・・・」こそが「絶望」の始まりです。
自分に期待していなければ絶望することはありません。
そもそもの自己評価が高いからこそ、現実のとのギャップで「絶望」するのです。
僕が意味なく自己評価を高めてしまったきっかけがあります。
それが小学1年生のバレンタインです。
バレンタインでチョコをもらったのが、全ての勘違いの始まりでした。
だいたい小学生低学年の頃なんて、大して顔が良くなくても何とかなったりするもの。
足が早ければモテてしまうのです。まぁ足遅かったけど。
しかもこの頃の経験というやつは無意識に自分像を形成してしまうようで、いつしか僕は自分のことを「イケてるやつ」だと思うようになっていました。
中学生時代「コンプレックスの始まり」
中学生になると、モテるモテないの格差が顕著になります。特にうちの中学はまだまだウブで淡い片田舎の学校。
誰かと誰かが付き合うなんて学年に1人いるかいないかレベルであり、そんなことが起きようものなら大ニュースでした。号外でした。
そんな中学2年生のバレンタイン。
クラスで博愛主義寄りな女子がいました。「寄り」と書いたのは完全なる「博愛主義」ではなかったから。
全員ではなく、クラスの上位7割の男子にチョコを渡していた女の子がいたのです。
僕は残り3割でした。
この一件は幼心にも衝撃で、いったい何が悪いのだろうかと頭を悩ませたものです。
「なぜチョコがもらえないのだろう?まさか顔が悪いせいじゃないと思うが。」
そんな悶々とした疑問を抱えながら過ごしたのが中学時代です。
高校時代「ガリ勉」
僕は受検勉強に明け暮れていました。
当時、流行っていたドラゴン桜に影響され、そしてうちの高校が進学校だということもあり、「勉強できる=カッコイイ」のだと信じて疑いませんでした。
よく漫画であるような、ガリ勉君がイケてるグループを見て「将来、俺の方が上に立ったやる」と嫉妬の魂を燃やすのではありません。
僕は「自分がイケている」と思っていたガリ勉だったのです。とんだガリガリガリクソンです。
ただ理想だけはいっちょまえですから、最も仲の良かった友人に「俺はもっとモテるはずだ」「将来は小説家になって理想の青春物語を書いてやる」と断言し、「ポカン」とされました。
そして浪人時代
いや、そこまで頑張って浪人したのかよ、とツッコミもあると思いますが、僕は浪人しました。
当時、愛知県名古屋駅の駿台予備校に通っていた僕。
いつも一緒にいる仲の良い友達もできまして、そして彼らが軒並みイケメンで、周りからは「S4」となんて呼ばれていました。
ちなみに僕たちは5人グループです。
これらの出来事を「妄想」でカバーしてきた
そこから大学に入り、楽しいことも、もっと辛いこともあったのですが、言えるのは、
「もしモテていたら、もしドラマや漫画のような青春時代を過ごしていたら、僕は妄想をすることがなかった」ということです。
ということで、コンプレックスを持っているのなら、それは立派な武器です。
高すぎる理想があるのなら、その理想の世界で生きるあなたの物語は作品になります。
妄想できる人は自然と「空想の中で人を動かすこと」が出来るようになっています。
そして小説は、これまで味わった辛いことも、悲しいことも、物語として昇華できる素晴らしいものなのです。
もし少しでも小説を書きたいと思ったのなら、まずは一文書き始めましょう。
ちなみに先日、「小説家になってやる」と断言した友人と会って「昔そういう話をしたの覚えている?」と聞いたところ「ぽかん」とされました。
まぁ、こんなものです。